天界も過密?

ヒンズー教の神様 その数4億柱って、まじか?

とあるヒンズー教徒のインド人に「インドには神様いっぱいいるよね。」と話しを振ったら、「4億柱超ね。」「マジすか。」ブルゾンちえみだって驚く。

さすがインド。日本も八百万やおよろずとか云われるぐらいで、たくさんおられるようだが、桁が違う。一体だれが数えたのかと思わないでもないのだが、きっと、その一柱一柱になにがしかのいわれがあるのだろうと、インドの豊饒さに思いを馳せる。

さて、そもそもなんでそんなたくさんの神々がおわすのか、当然ながら、ヒンズー教の成立過程にヒントがあるのだろう。

インドは多様性の権化だ。それはその言語を見てもわかる。インド共和国の公用語は24種類、公用語になっていないものを合わせるとその数は250を優に超えるとか。当然ながら、民族も多様だ。基本的には7民族のようだが、部族となると、何百となる。そして、それぞれの文化が独自の進化を遂げ、また長い年月をかけて、融合し芳醇な香りを放ち始める。

そんな現代ヒンズー教の成立に重要な役割を果たしたのが2つの民族だ。インド北部に輝かしいインダス文明を築いたドラヴィダ人とイラン東部から北インドに侵入したアーリア人だ。BC1500年頃、ドラヴィダ人は、忽然と歴史の表舞台から消えていったが、彼らのアミニズム的宗教観は現在のヒンズー教の基底を流れる極めて重要な水脈だ。そして、彼らと入れ替わるようにインドに進出してくるアーリア人の、のちに、バラモン教と呼ばれるようになる宗教は間違いなく、ヒンズー教の母だ。

アーリア人は自然の持つ危険な力や害をもたらす巨大な力を「ブラフマン」と呼び、これを神が発揮する力だと信じたらしい。彼らはこの力を褒め讃えるべく、祭壇を設え、犠牲獣を焼き尽くす儀式を行ったが、この際に梵を讃える歌を歌い、あるいは呪詞を語り、一族の安寧を祈った。このような歌や言葉を集めたものが、4種の「ヴェーダ聖典」であり、最も古い「リグ・ヴェーダ」では、神の数は33以上、また、300とも3000ともいうらしい。

最初から3000柱か。そう考えれば、4億はそう多い数ではないのかもしれない。ちなみに、「リグ・ヴェーダ」には梵が自ら展開することによって世界が現出するともあり、多くの神は梵のアバターで実は、神は一つかもしれない。また、また、インドは私を煙に巻く。