インド映画『RRR』を見て思ったこと

インド映画『RRR』とインド人としてのアイデンティティ

話題のインド映画、S.S.ラージャマウリ監督の『RRR』のテルグ語版を日比谷の映画館でみた。圧巻の3時間。多民族、多宗教のインドを一つにしているのは過酷な英国植民地支配解放闘争の歴史の記憶と映画文化なのではないかと思った。

弓を持つラーマ王子

本作品はインドの2大叙事詩「ラーマーヤナ」と「マハーバーラタ」を下敷きにした、2人のスーパーヒーローによる痛快勧善懲悪アクションムービーには違いないのだが、テルグ語版サブタイトルにある3つのR「Roudram,Ranam,Rudhiram(怒り、死,血)」が示すように、主題は重く、ヨーロッパ列強の、とりわけ英帝国主義に蹂躙され続けた近代インドの苦悩、英国支配下であえぐインド民衆の圧倒的貧困、悲しみ、怒り、憎しみ、国民の分断、暴力による支配の非道さなどが見る者の心をえぐる。そしてヴィシュヌ神の化身ラーマ王子(のような警察官ラーマ)と風神ヴァーユの子パーンダヴァのビーマ王子(のようなゴンド族の指導者ビーマ)がこの不条理を叩きのめす。民族と自らの誇りのために。

ネタバレはなるべく避けたいのだが、映画の2つのシーンが頭を去らない。一つは反英植民地解放闘争が苛烈を極める1920年、砂塵舞う半砂漠の荒野の警察施設で、ラーラー・ラジパト・ラーイの釈放を求める幾千のインド民衆と警察が対峙するシーン。その権力側(英国人側)に一方の主人公インド人警察官のラーマがいるのだが、民衆と警察を隔てる金網が破られるその刹那、ラーマは英国人の命令の下、民衆の扇動者と思しきインド人を拘引する。インドの地で、インド人がインド人をイギリス人の前に引っ立てる。「裏切者」と叫ぶ民衆の声の中。そして、2つ目は、もう一人の主人公ビーマが公開処刑でラーマに極太鉤針付き鞭で打たれるシーン。堪らず、降伏を勧めるラーマにビーマは肯首しない。肉割れ、血が噴き出しても鞭打ちは終わらない。その様子を楽しむイギリス人総督夫妻。

この2つのシーンは私に植民地解放闘争の活動家達(フリーダムファイター)を収容・処刑したアンダマン刑務所で聞いた話を想起させた。

アンダマン刑務所はベンガル湾に浮かぶインド直轄領アンダマン諸島にある「カラパニ(黒い水)」と呼ばれた脱出不可能な独房刑務所で、フリーダムファイター達はここで力がなくなるまで痛めつけられ、挙句の果てに絞首刑にされた。彼らへの拷問はイギリス人が直接行うのではなく、同じ囚人のフリーダムファイターが担ったと聞く。そして、この拷問係には体力維持のために肉が与えられたのだそうだ。

日本軍のアンダマン占領によって、イギリス軍は1942年3月アンダマンから撤退し、以降この刑務所は日本軍の管理下に置かれた。しかし、1945年までにインド人兵士、村民など数百名が今度は日本軍によって虐殺された。

アンダマン刑務所の絞首台

 

少々、書きすぎたようだ。インド解放に命を捧げ、インド独立を見ずに逝ったファイター達もどこかでこの映画を見ているかもしれない。

シャンティ、シャンティ、シャンティ。

さて、もう一回ラーマとビーマに会いにいこう。